石上山光明寺

当寺はもと満穂本郷にあって、旧地名を「寺町」という。大和国の長谷寺末寺で伊予上吾川の谷上山宝珠寺を本寺とし、寛文7年(1667)有尊阿の開山と誌されている。
本尊は薬師如来で脇仏には不動明王、毘沙門天、千手観音菩薩、そのほか薬師如来の守護神である十二神将、弘法大師と興教大師像、釈迦如来誕生仏がある。
地元の古老の口伝では、大盛彦七の祈願所として創設されたのもので、谷上山に次ぐ格式を持った由緒ある寺であるという。


あかり苑管理者
尼僧こうれい

光明寺所蔵・版本五部大乗経
本経典は奈良・興福寺において、中国の宋版・元版を模して鎌倉時代後期に印刷された版経である。興福寺で印刷された経典を春日版と総称するが、本経の発見により、春日版が経典制作の祖本とした中国の宋版は、景祐4年(1037年)に杭州の大中祥符寺で印刷出版されたことが明らかになった。
興福寺に残る春日版板木は、国の重要文化財に指定されている。
本経典は延文4年(1359年)に讃岐の船積寺に施入されたのち、伊予市志津川(現東温市)の大興禅寺、伊予福角(現松山市)の信福禅寺を経由して、砥部町満穂の石上山光明寺に移ったことが奥書から判明した。
信福禅寺から本寺へ移動した経緯や時期は不明であるが、嘉永五年(1852年)に経櫃の蓋が光明寺で作られていることから、移動の時期は嘉永五年以前であることが分かる。
本寺の略歴によれば、享保18年(1733年)の大飢饉の際、尼僧が北ヶ森において村人千人とともに雨乞い祈願を行った際に大暴風となり、その後、北ヶ森を経ヶ森と称したという。
五部大乗経は平安時代後期から室町時代にかけて最も功徳ある総合経典として、国家安隠・五穀豊穣を祈願するために重要視された。
本寺は昭和53年以降、住職不在となっていたが、地元美化グループが定期清掃を行っていた平成17年2月に経典の入った木箱を発見。砥部町文化財保護審議委員に相談したところ、愛媛県歴史文化博物館に連絡、平成20年に砥部町文化財に指定された。


<参照>文化遺産オンラインー春日版五部大乗経

寺 名 石上山 光明寺
宗 派 真言宗智山派
ご本尊 薬師如来
ご真言 おんころころせんだりまとうぎそわか
所在地 愛媛県伊予郡砥部町大字満穂
連絡先 宗教法人光明寺 寺務所
愛媛県伊予市八倉610
TEL089-994-6308 FAX089-982-2017